神奈川自治体問題研究所



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危機の時代の地域と自治体 〜憲法をくらしにいかす

ー第50回神奈川自治体学校ー

11月13日、27日で158人が参加



11月13日と27日、第50回神奈川自治体学校が横浜市健康福祉総合センターをメイン会場として開催されました。今年のテーマは「危機の時代の地域と自治体〜憲法をくらしにいかす」でした。感染症の蔓延、相次ぐ自然災害、中央集権と軍事大国化の動き。日本は危機の時代を迎えています。このような危機を乗り越え、憲法がくらしに息づく地域と自治体の在り方を探りましょう。というものです。参加者は午前中の全体会が90人、午後の分科会が95人、11月27日開催の子育て教育分科会が17人でした。参加者は昨年より少なめでしたが充実した内容の学校でした。

<学校長あいさつ>
 まず、長尾演雄副理事長が、自治体学校長のあいさつを次のとおり行いました。
「おはようございます。50回目の自治体学校を開催します。50年前から今日と同じような学校をずっと開いてこられた。
 50年というと今から考えると長かったですけど、それを続けてきたということを誇りに思っているところです。同時に皆さんが参加していただけなければ50年も続くはずがありません。そういう意味では皆さんの求めるような学校を作ることが、50年間なんとかやってくれたのかなと、そう考えますと大変誇らしく思っているところです。
 今日の自治体学校は、どういうスローガンで開こうかということを毎年4月頃から議論するわけですけど、今日のスローガンは「感染症の蔓延、相次ぐ自然災害、中央集権と軍事大国化の動きなど日本は今危機の時代に入っている」という認識を私たちはしてます。そういうこの危機の時代に憲法を暮らしに活かして地域と自治体をどう作ればいいかということを一緒に考えてみたい。そういういう学校にしたいと考えました。全体会をどうもつか。一つはその問題を考えるのに横浜市立大学の山根先生をお願いしよう。先生のお話というのは、ナチスドイツから教訓を学んで自治の問題を考えよう。緊急事態条項と地方自治、ナチスドイツの状態からこんにちに学べるものがあるのかというようなお話をしていただくということになりました。
 自治には個人の自治、集団の自治、組織の自治、結社の自治、地方社会の自治、そういういろんなレベルの自治があるだろう。同時にそれぞれの活動主体が自分の生き方を模索し自分の力で選択してこう生きていけるということを決める、そういう営みだということ。もう一つは、そういう与えられた条件の中で、大変深刻な状況、条件の中でもこの制約を打ち破ってそして自己実現を図るというそういう営みを自治だと考えよう。こう考えますとナチスドイツの大変深刻な状況の中で、どういう自治が壊されて人々はどういう自治を模索しながら生き延び、生きようとしてきたのかということを歴史に照らして自治の問題を考えてみたい。
 こういうことで、山根先生に大変無理なお願いをしながら今日快諾していただいたということです。もう一つ自治の問題を考えるのに、残念ながら映像でお話しすることになりましたけど、小山田さんは大変元気の良い人で、この人は考える時に考えるけど、決断して実行に移す時は即断して実行に移す。私は彼の話を聞いていて変感動したものですから、もう一度この話が聞けたらなあと思って、ぜひという形でお願いしました。午後からは分科会に来て、元気でいいお話をしますので、都合がつく方は参加してほしい。全体集会は山根先生の記念講演と小山田さんの特別報告で一緒に問題を考えようという形に作りました。
 そして私たちは学んだら学んだことをやはり地域で活かしたい。学校で学んだことをきっかけにして、今までも皆さんは動いていると思いますけど、一生懸命動く市民になろう。動く住民になって、周りの人に話しかけ、声掛け合って繋がりを作って自分の地域をもっと住みやすいものに作り変えよう、そういう学び方をしていただくような形ができればありがたいなと思っています。
 横浜の調査結果を見ますと2019年の結果ですけど、心配事だとか困ったことを抱えて毎日暮らしている住民というのは、横浜市民は8割以上がそういう状態になっているという報告が出ていて、それではそういう人々は地域に困った時に相談相手がいたり、困った時に助けてもらったりできる住民がいるのか、という聞き方をしますと100人のうち4人もいないという数字になっているわけで、それも大変な危機だと思ったのです。私たちに自分の問題を誰かに相談ができるような地域になってほしいしそういう地域ができればもっと生き方は楽になるだろうと思っています。今日学んだことを地域で生かすような学び方ができれば学校を開催して大変良かったなと思っています。」

<実行委員長あいさつ>
 次に、自治体学校実行委員長の政村修さん(神奈川自治労連書記長)が、実行委員会を代表して次のとおりあいさつしました。
「ご紹介頂きました実行委員長の政村です。実行委員会を代表して自治体学校開催にあたりまして一言ご挨拶を申し上げたいと思います。今学校長の長尾先生からも話ありましたけども神奈川実際学校も会を重ね第50回という大きな節目を迎えることとなります。1970年代からみんなが先、みんなが生徒これを合言葉に地方自治や自治体行政をめぐる様々な課題を神奈川自治体問題研究所と県下の運動団体、県民、議員、自治体労働者、労働組合が共に学び合う場として積み重ねられて参りました。
 今年の第50回も4月に第1回実行委員会を開催して以降、約半年にわたり神奈川自治体問題研究所役員の皆さんやとりわけ分科会の構成や運営には関係する運動団体の皆さんにひとかたならぬご尽力をいただきました。本日の運営を含め準備に携わっていただいた関係者の皆さんにまず感謝を申し上げたいと思います。
 さて神奈川自治体学校が大きな節目を迎えたことと共に今、日本の社会と地方自治もっと大きくは国際社会全体が、この先の進路をめぐる大きな節目、分水嶺を迎えているのではないでしょうか。2月のロシアによるウクライナ侵攻は国連憲章に基づく平和秩序を脅かす新たなブロック間の武力による対抗を発生させています。核兵器による威嚇や気候危機に対する逆流など否定的影響ももたらしています。そして何よりも三年目を迎えようとしているコロナパンデミックが20世紀終盤からの新自由主義がもたらした格差と貧困の拡大、公共の破壊によって、人々の命さへ守り切ることはできない脆弱な社会を作り出したことを鮮明にし、これを乗り越えた先にどういう社会を展望するのか、世界中で理論と実践が始まっています。一方国内では岸田政権の下でウクライナ侵攻を奇貨として、敵地攻撃能力を保有を含む大軍拡と改憲策動、総裁選で標榜した新しい資本主義もアベノミクスに回帰し、コロナ対策でも物価高騰に対してもあまりに国民の命と暮らしに無頓着な政治が継続しています。地方自治体のデジタル化とその基盤であるマイナンバーカードの取得強要に許容に顕著なように交付税などを利用した政策誘導が押し付けられ、規制緩和と公務公共サービス市場化の流れは続いています。これらを考えた時に通底しているのは憲法の理念に沿って社会を構築しようとするのか、それとも基本的人権の上にグローバル企業の利益追求の経済活動をおいて、憲法の理念から乖離を広げるのかが問われているのだと思います。来春には統一地方選挙が行われます。
 本日の自治体学校で全体会と分科会それぞれのテーマで学び、議論を深めるとともに参加者の皆さんがそれを地域に持ち帰り、自治の主体として我がまちの現状と課題を深めることにもつなげていただければ幸いです。地域で住民と自治体労働者労働組合、運動団体が共同広げ、憲法と地方自治の原理に立って自治体のあり方を問い直し、それを体現した社会を地域から作り上げていくために力を合わせていただくことを呼びかけさせていただきまして、実行委員会を代表しての挨拶に代えさせていただきます。今日は1日最後までご協力よろしくお願いいたします。ありがとうございました。」

<記念講演>
 横浜市立大学教授の山根徹也氏が「緊急事態条項と地方自治〜ナチス・ドイツの教訓」と題して記念講演を行いました。
記念講演の大要は以下のとおりです。

「今日は「緊急事態条項と地方自治」というタイトルでナチスドイツの教訓、ナチスドイツのことを中心にお話しします。もちろん教えてくれているという意味はではなく、ある意味ではそうですけど、ナチスドイツのような体制ができてしまったという悪い歴史的な経験をどう活かすかという意味でこんなタイトルにさせていただきました。
 今も活発に政治を指導しておられる麻生副総理。ちょっと前になりますが、ナチスの手口学んだらどうかという発言で大変話題を呼んだ人です。一応撤回ということになっていますが、この人やこの人と一緒に政治をやってきた、今年亡くなった安倍元首相とか岸田政権、自民党の有力な政治家を中心とする勢力が改憲を目指して、他にも自民党の外でも色々な勢力が同じようなことを目指しています。改憲勢力がナチスの手口を学びながらやっているかどうかは、いろいろつぶさに検討しなきゃいけませんけど、必ずしもご本人は撤回しておられますけど、事実に即していないわけでもない。つまり自民党サイドで考えている改憲案が、同じとは申しませんけどナチスがやった体制転換の方法と共通する面があるのではないかということがありますね。始めにはそういうことから話を始めまして、それで特に改憲の問題で中心的なのは9条改憲の問題ですけれども、同時にこの改憲派が言っている緊急事態条項導入というものもまた重大な問題をはらんでいますし、また9条改変とセットでこれは考えられているだろうと私は思っております。自民党のホームページを拝見しますと、4項目を変えたいというようなことが書いてありまして、9条に次いで二番目に緊急事態条項が出されています。後でもう少し詳細にみますけれども、この緊急事態条項が深刻な問題をはらんでいるということを申し上げたいと思います。
 導入したいと言っている人がいるということは、現在少なくともその人たちが思う緊急事態条項が日本国憲法に含まれていないということが前提にあります。ないのはどうしてか。それはないほうがいいのはどうしてかということですけど、そういうことと関わります。ちなみに大日本帝国憲法にはそれにあたるものがあります。それを考える場合に様々な角度から捉えるのがいいのですけれども、私がドイツ史研究者である所からドイツの歴史、先ほども触れたナチスが独裁体制を樹立してしまったプロセスの歴史、そこに緊急事態条項、憲法の緊急事態条項を利用したということがありますのでそのことを中心にお話ししつつ、その緊急事態条項利用それをしながらの独裁体制づくりにおいて地方自治をいじる。地方自治を破壊する。それも憲法の条項を使いながら破壊するというプロセスが、ナチスにとっては不可欠でありました。
 ですからタイトルのように緊急事態条項と地方自治、極めて関わりが深いのであります。そのあと自民党の案の危険性に触れたいと思っております。あの体制ができた、つまり独裁体制が成立した過程、ナチス独裁体制ができる寸前からできた時ぐらいまでを扱いたいと思います。

ワイマール共和政の民主主義
 まず前提として、ワイマール共和政の民主主義ということを申し上げたいと思います。ナチスドイツと申しますが政権を獲得して独裁体制を作ったのが1933年でございます。その前のワイマール共和政の民主主義があったけど非常に急激に転換してナチス体制になったという歴史があります。先ずはワイマール共和政を見てみたいと思います。1918年に革命が起きてそれまでの帝政が倒されて、民衆の力で倒すのですが、共和政が成立し、ワイマール憲法という憲法ができてこの共和政が始まりました。このワイマール憲法の定めるワイマール共和政の政治体制の特徴を申し上げたいと思います。
 一言で言うと先進的な民主主義の共和政体であったということであります。当時の水準では非常に先進的であり、それは民主主義であるばかりじゃなく、人民主権体制であるだけではなく、基本的人権の保障が相当に進んだものだったということで、男女平等と労働者の権利、社会保障それを憲法上規定するというところはあります。それは我々としては、現代憲法では普通ではないかと感じるかもしれませんが、それはこういうものも参考に日本国憲法ができたからで、もう一つの特徴は地方自治が相当に強いという要素があります。市町村レベルの地方自治も保証されていますし、それから連邦制という形をとっていまして、これは現在の日本と違うところですけど、市町村やその上の県の上に州という単位があって、この州の自治権が非常に強い。「高権」と訳す権限があることになっていてそれは主権と同じような意味で、主権に準ずるような、独立国ではないけれども独立国に近い権限があります。これは元々本当に独立国だったものが州になったという経緯があるところも背景にあります。そしてドイツ全国の国についてはドイツ語では「ライヒ」と言っていまして、訳が難しいので、「ライヒ」と呼びたいと思いますけど、強いて言えばこの州が連合してできているのがライヒ。だから連邦とも言えますしドイツ国全体を指しますからドイツ国と訳すべき時もあります。「帝国」と訳す場合もあるのですけど、共和政なので帝国の名前はそぐわないのでちょっとそれは使いません。この州はですね非常に権限が強いので中央においてもライヒの国家体制の中で、参議院というところを構成していまして、つまり州の代表が参議院を構成していまして、日本の国会の参議院と似た役割を果たす。どのくらい権限が強いかというと、警察権があり、憲法を持っています。ライヒのものと矛盾しないようにする義務があるのですけど、そういう風になっています。
 プロイセンというのが最大の州でして、いろんな経過でドイツの半分以上がプロイセンで占められています。ちょっとアンバランスです。南の方で大きいのが、ビールがおいしいミュンヘンとかがあるバイエルン等々の州があります。共和政の仕組みについてやっぱり基礎知識を提供した方が分かりやすいと思うので申し上げておきますと、これは現在の日本国憲法と似た権力分立体制になっています。立法権は国会にあり国会は直接選挙で選ばれるなどになっています。それで内閣不信任を可決し、可決したら本当に内閣を罷免する権限があるなど、国家の最高機関であります。内閣のことを「政府」とこの憲法は言っていますけど、もちろん行政権を持っているのは政府ですね。首相と大臣からなるんですけど共和国なので国家元首としては大統領がいます。大統領は選挙で選ばれるので民主的共和政の原則ですけどあの大統領の権限は通常は形式的なものに過ぎないのですけど、結構肝心なところで重要な権限があります。それが首相任命権と国会解散権であり、また大統領緊急令の発令権であります。緊急大統領令、緊急命令ですね、それがワイマール憲法の緊急事態条項の定めるものですね。これ非常に重大な問題があるのでちょっと解説をしておきたいと思います。

ワイマール憲法緊急事態条項の問題点
 これはワイマール憲法の第48条に書いてあるものです。この憲法は全体としては民主主義的憲法ですが、その中に緊急事態条項48条があって、これが憲法の草案を作った者たちは民主主義体制を支えるために役に立つと思って作っていますけど、後で逆の効果を持つことになりました。内容は(2)が典型的な条項で「大統領は、ドイツ国において公の治安と秩序が著しく乱され、もしくは脅かされた場合、公共の安全と秩序を回復するために必要な措置を講ずることができ、その必要がある場合、武力の補助を用いて介入することができる。この目的のために大統領は一時的に、第114条[人身の自由]、第115条[住居の不可侵]、第117条[通信の秘密]、第118条[表現の自由]、第123条[集会の自由]、第124条[結社の自由]及び第153条[財産権の保障]に定めるところの基本権を全面的または部分的に停止することができる。」としています。
   また、「州が憲法または国(ライヒReich)の法律によってそれに課された義務を果たさない場合、大統領は武力の補助を用いてこの州にその義務を果たすよう促すことができる。」言っています。大統領の権限で緊急事態があったという場合に、必要な措置を取り、人権の制限ができるし、州に介入することができるということは、州の自治権を奪うことができる。例外的事態においては臨時的に独裁が、大統領独裁ができる。そして地方自治を、州の自治という地方自治の根幹を停止することができるということ定めています。
 もう一つ注意しなければいけないのは緊急事態というのは、客観的公正に認定されるわけではなく、大統領自身が認定すると緊急事態にできてしまうという構造になっています。これは本当は別に緊急事態ではないのに緊急事態だと大統領が思うと出来てしまうという、思っていないけどそう思ったことにしてしまえば、できるということがあります。共和政期のナチス登場直前ぐらいまでは運用はされていましたが、基本的には限定的な運用にとどめられていました。共和政や民主主義体制自体を持続的に破壊するようなことはなされていませんでした。それは、運用の主体が形式上大統領ですが、実質的には政府自体がそれを支えないとできない。
 緊急事態条項を使うということは。政府はどうかと言うと、20年代は連立政権のワイマール連合と呼ばれるものが政権を持っていまして、これは一応民主主義体制を維持しようという考えの諸政党でした。政党の説明は長いのでカットしたいと思いますけど、ワイマール連合と一口で言うと左から右までありますけど、中道諸政党です。ただし、有力な反対派が別にいたことも気をつけなければいけなくて、右からは共和政と民主主義を滅ぼしたいと思っている右派がいます。右派も二通りあって、保守派という伝統的にかつては支配層、政治面でも支配層だった人たちがいて昔に戻したいと思い、そうじゃないけど民主主義に敵対する面では非常に急進的な極右が別にいまして、時々喧嘩するのですけど、この極右派の中で成長するのがナチスであります。それから左からも反対派があってこれは民主主義と共和政に対して反対じゃないけれども、ただし民主主義と共和政についての考え方が違っていて、ワイマール憲法の枠組みの中でのワイマール連合という諸政党の政治に非常に強く不満を持っていて、もっとラディカルに社会主義の方向に変革したいというのがドイツ共産党の立場であります。

プロイセンクーデター〜緊急事態条項による地方自治破壊のはじまり
 ナチスが政権を握るお膳立てになってしまった、意図しないですねやってしまった人たちは意図してなかったのですが、大事な出来事があります。これが地方自治破壊になったものであります。これプロイセンクーデターという出来事です。大統領内閣という種類の内閣がこの出来事を起こしたのですけど、これ何かって言うとですね、まず前提としてワイマール連合の政権が崩壊しちゃったということがあります。世界恐慌の煽りで政治危機が訪れて、例の中道的な連合政権が中道右派みたいな政党から社会民主党まで加わっている政権があったのですけど、これがうまくいかずに崩壊してしまった。このワイマール連合の枠組みで政権を回復させることができなくなりました。この時に大統領内閣が登場する。大統領はヒンデンブルクという人です。
  ちょっと写真を見ると見た通りの感じの人で、右派で保守派です。これは革命で残念ながら倒された帝政に復帰したいと心から願う、かなり高齢な人です。なぜか民主主義に反対している人ですが、民主主義選挙で当選してしまったのです。ワイマール連合政府が安定しているときは、あまり逆らわずに形式的に政権を任せていましたけど、ここに来てやむを得ないと思ったのと、いいチャンスだと思ったと両方あるようですけど、大統領内閣、自分の好きな内閣を作ることにこの人はしました。これは国会で過半数を形成できる内閣がどうしてもできないという状況から、せざるを得ないのが、大統領が選んだ人がたとえ国会で過半数の支持を得られなくて首相にできるので、憲法上できるので、やってしまえという例外的な処置です。ただ、この機会に大統領ヒンデンブルグは、長年共和政を支えていた社会民主党を排除する。さらには、やっているうちに過激化していきます。共和政をおしまいにしてしまえ、という方向に進んでいく。最初にその大統領の任命で内閣をやったのがブリューニングって人ですがこの人が色々上手くいかなくなって辞めさせられまして、次に政権の座に就いたのがパーペンという人です。だんだん過激化するヒンデンブルグに近い考えの人がパーペンで、どう過激化したかというと、共和政に敵対する右派の方向で過激になっていった。国会の過半数が獲得できない内閣ですので、法案を作っても国会を通過しません。どうするか。法律がないと政策が実行できないので、政権を維持できません。大統領緊急令というものに依存するわけですね。大統領緊急令って何かと言うと、例の緊急事態条項に根拠付けたものです。緊急事態においては、大統領は措置を取れるところを取って、なんでもかんでも緊急事態だということを口実に、国会の承認なしに大統領の命令だけで法律に変わる、法律よりは弱い効力ですけど、まあそういうものを作って政治をギリギリやっていました。
 そんな時ナチスの躍進があります。ご存知の通りの政党で、詳しくは言いませんけど、極右集団で、ヒトラーの独裁体制を取っている政党で、やがて政権取ったら党の中だけじゃなく国家全体をヒトラー独裁体制にしていくわけですね。反共で反ワイマール連合であるという、極右というのはそういう人々なので当たり前ですけど「革命」などを唱えていて「保守派というのは古いものに復帰するんだから許せない」という考えも持っているので、保守派にも反対です。暴力を使うのですけど一応表面的には合法的に見える形で権力を取ろう、だから議会選挙なんか使って権力を取ろうという方針をとっていましたが、最初は上手くいかなかったのですけど、1930年世界恐慌の煽りに中であの色々な人々の不満を吸収して国会選挙と地方選挙で躍進して行きました。で合法とか言っているけど同時に暴力活動をやっていて、突撃隊、親衛隊という、突撃隊と言うか軍隊みたいな組織ですけど、これがいっぱい暴力を振るいながら勢力を伸ばしていき、目の敵にする共産党と社会民主党なんかをやっつけるということをやりつつ、選挙もやる組織でした。
 プロイセンクーデターの話ですが、パーペン内閣は1932年6月に成立しますが、パーペン内閣は、 右派と言っても保守派ですね。保守派主導の政権安定化をしたいんだけどそれには共和政を廃止していくことが必要であるということになります。そこであの右の側から共和政をそして民主主義を終わらせるという意味では、ナチスと意見が一致しているから、抱き込むからいいんじゃないかという考えだった。その方針の中で邪魔だったのが、プロイセン州でした。一番大きい州ですね。そこでは社会民主党が第一党のままで、首相が社会民主党の人のままでした。これが共和政をやっつけるためにも邪魔だし目の敵にする。また左派が首相をやってると言う事があってこれをやっつけようという決意をするわけですが、その時憲法48条第一項を使ってですね、これは無理矢理な口実を使って、衝突事件とか使って、今が緊急事態なんだということにして、大統領に緊急令を出してもらいました。そしてプロイセン州の首脳を罷免する。それで自分がライヒ、中央政府という意味ですね、弁務官としてプロイセンの権力を握るということをしました。これはナチスじゃなくて、ナチスともうまくいっていない保守派がやったものですが、共和政を破壊する第一歩になりました。でナチスの政権獲得取と弾圧の開始が来るわけです。

ナチスの政権獲得と弾圧の開始
   パーペン政権は失敗します。同時に国会を解散して選挙をするんですが、この選挙がパーペンの側からするとうまくいかなくて、なんでかと言うとナチスが大躍進しまして第一党になってしまったということがあった。抱き込みは計っていたのですけど、このナチスが抱き込み作戦に応じずパーペン政権と敵対することになったので大変ピンチになっちゃいました。共産党も躍進してますけど。ヒトラーは「協力してやってもいいけどその場合は俺を首相にしろ」というのが一番大事なとこでした。さすがにそれは無理だって言ったら敵対してきたという関係ですね。これがパーペン政権にとっては危機的になっちゃって色々ありますけど、11月もう一回それを乗り越えるために選挙してみたらやっぱりまた失敗しまして、やはりナチスが第1党のままという状態になったのですね。これはもうだめだとパーペンは退任して、基本は同じような立場で別の作戦を考える、右派で保守派なんだけど別の作戦を考えるシュライヒャーという人が一瞬内閣をやったのですが、その人の思いついた結こうアクロバチックな作戦もうまくいかず大失敗に終わり、政権保守派の政権はどうしてもうまくいかないというピンチに陥りました。
 それで首相任命です。保守派の打開策は、今度は退いて大統領の側近になっていたパーペン氏がもうしょうがないからヒトラー首相にしてあげましょうという案を出しました。それで、首相にするけど周りは自分たち保守派で固めてナチスは抑えるので、ヒトラーなどは操ることができるから大丈夫ですという考え方を取った。ヒンデンブルグはまあそうか仕方ないか、ということだったらしく、ヒトラーを首相に任命しました。1933年1月30日です。普通これで民主主義体制が終わった日だという風にされています。内閣はヒトラー首相で、副首相はパーペン。他にドイツ国家人民党という保守政党がいます。フーゲンブルグですね。ナチ党はフリックとゲーリングが大臣になっていますが、後にこの二人も役割を果たします。ヒトラー独裁への道にまだ制約がありまして、保守派の閣僚がいるとか、国会では過半数でないとか、何しろ憲法があってちゃんと弾圧できないなど、色々な問題がある。それから連邦制なので弾圧したいと思っても政府には警察権がなくて、州に警察権があるので、これは内閣に収まっただけでは、邪魔者を消すことができないという問題があります。しかし、いろいろ方法があったのですね。それはプロイセンでまずできました。ライヒ弁務官は政権内部にいるパーペンです。これが支配している。そしてパーペンに新たに認めさせてナチスのゲーリングをプロイセン州の中の内務大臣にすることができました。内務大臣というのは警察権を監督管理しているので、プロイセン州の警察権限をナチスのゲーリングが掌握してしまったことになります。このチャンスを逃すわけがないので、補助警察だと称して暴れん坊の突撃隊とかその中間の親衛隊を警察にしてしまう。警察の権限は使ってですね、テロ行為を行うわけです。それで今までの敵をやっつけるわけですね。そういうことを大々的に始めて行きます。プロイセン州の中では地方自治が解体されていきます。この辺からですねプロイセンクーデターでもそうですけど、地方自治を破壊していくことがいかに独裁体制にとって重要かということが現れていると思います。州議会を解散するとか地方自治体を解散するとかして独裁体制にプロイセンでナチス独裁体制を作っていたわけです。そして次の段階に入ります。

国会炎上緊急令
 ヒットラーは国会の解散をし、選挙運動に入りました。次の選挙で大勝利を収めて野望を実現しようという考えです。この期間中には全面的な弾圧が必要で、プロイセンはかなりできるんですけど、まだまだ足りない。そのためにはプロイセン以外の州の自治権を破壊しなきゃいけない。それからいろいろ弾圧はやっていますけど、憲法の基本的人権の保障があるのでなかなかですね、結社例えば共産党をまるごと禁止するとかがしにくくやりづらい。ところが国会炎上というチャンスが生まれました。それは、放火でベルリンの国会議事堂が燃えちゃったということがあって、火事が始まった翌日にヒトラー政府は、「これは共産党の暴力行為だ」と認定して大統領に迫り、共産党をやっつけるために必要ですということで、例の憲法48条に基づく緊急令を発動させました。それが「国民と国家の保護のための大統領令」という名前自体が嘘な名前ですけど、こういう名前をつけました。内容は、第1条で「基本的人権は当分の間停止される」と書いてある。第2条で、「州に政府が介入する」第3条で、「州、市町村は必ず政府に従え」というようなことがあり、さらに「重罰がある」とか色々続きます。これは事実上の憲法停止、すくなくとも基本的人権と地方自治の面での憲法の停止と同じことを意味していたわけです。基本的人権は無期限停止、プロイセンすでにやっていたことを全国的に全面的に行うことができるようになり、例えば共産党の議員などは全員逮捕対象にすることができることになりました。そして、保護拘禁と言って、保護すると称して令状も裁判もなしに無期限拘束できることにしました。この大統領令でもってできるようになったのですね。共産党だけじゃありません。社会民主党とか、色々ナチスにとって邪魔者はみんな弾圧され報道機関もそうでした。州の自治も空無化される。プロイセン以外の州もそうであります。そして根拠は大統領令ですけど、実際にはこの措置は政府が取ることになっているのでヒトラーに権力が集中していくということになりました。当分の間というのはずっとということになるので無期限の独裁体制ができたということになります。プロイセンでは、すでに州自治は破壊できていますけど、この緊急令を使ってすべての州において主の自治権を破壊することができることになりました。州によってはですね、前のプロイセン州と同じように反ナチスの政党が政権を握っているとこもあるんですけれども、例えばハンブルク州のようにですね、それはその政権担当者は追放されてナチスを中心とする勢力が政権を握るようにどの州もなったのであります。突撃隊は今や警察権を掌握して共産党の活動家を拘束したりしていますが、拘束された人の中には早くもこの年のうちに殺害される人も出てくるし、戦時中に殺害される人とか色々国会議員レベルでも出てきます。

全権委任法と強制的同質化
 全権委任法と強制的同質化が次の段階で、これがまあクライマックスです。
 1933年3月5日に国会選挙が行われました。選挙結果は、しっかり弾圧を行ったのでナチスが国家人民党とパートナー組んで選挙戦をしたので二つの政党を合わせると過半数を獲得しました。さらに共産党の議席が81議席もあるんですけど、これ活動不能状態の中でも投票する人がいっぱいいてこれくらい取れた。
   社会民主党も結構とっています。ただ共産党は全員逮捕対象で、議場に出られないので自動的にナチスだけで単独過半数が議場では確保できることになりました。議席の数では足りないのがナチスでさらに憲法自体を徹底的に破壊して独裁体制を完成させようとするわけで、そのための法律が全権委任法です。法案はどういうものかと言うと、骨子は「政府が法律を制定できる」ということで、認証は大統領ではなくて、首相のヒトラーであること。そしてこの法律は憲法に違背してよいと堂々と描いている法案を出しました。これは、ワイマール期には、違背してはいけないと書くのが同様の種類の法律ではあったのですけど、「違背して良い」に書き換える。財政も同様で、これを実現すれば憲法全体を実質破壊する。これは形式的には破壊しないというのがミソで、ちょっと法律を一本通すと、全部が破壊でき、憲法自体は廃止してないかのごとくにできるのであります。無制限の独裁体制が、これで樹立できます。国会の審議に入りましたが、弾圧で共産党や社会民主党議員が出席できないので、しかしあんまり沢山欠席すると、三分の1以上の議員が欠席すると今度はこういう法律は可決できない、採決できない、ことになっていますけど、無届欠席の者は出席のカウントにするというルールを決めてしまったので、逮捕されたり死んだりしている共産党の人もですね、死んだ人や逮捕されている人たちや国外逃亡した人などもみんな出席したことになってですね、採決に入れて残りの中道政党の人が色々いましたけどその人達はいっぱい脅かしてですね、あの「共産党みたいな目にあうんですか」という構えで脅かして、そしたら色々な考え方の中でまぁしょうがないかということで賛成に回る。なので圧倒多数で可決されたかたちが取れました。地方自治との関連でちょっと触れておきたいのが参議院ですね。国会で可決しても参議院が可決しないと法律が成立しないのですけど、この参議院は州の政府の代表者がやることになっているのですが、全ての州がナチス政府を支持する者に入れ替えられていますので全会一致で承認されている。こうして3月24日、1933年ですね成立したのであります。この全権委任法が。

強制的同質化と地方自治破壊>
 こうしてナチスの体制の特徴をなす強制的同質化が始まります。グライヒシャルトゥング(Gleichschaltung)と言いますが、全ての国家機関や地方自治体を政府と同じにする。つまりナチス以外の大臣もいることはいるけど基本的にナチ化するということであり、またナチスに同調しないものを排除するし、そんなようなあの団体組織の存在を許さないというのが強制的同質化です。政治勢力の面でもですね、ナチ党以外の全政党が、パートナーだったドイツ国家人民党も含めて全部解散に追い込まれます。政権の座に残っているような政治家は非ナチスの人でも、ナチ党に屈服する。それから民間団体も労働組合初めですねまあ様々な団体がナチス的でなければ禁止され、ナチス的なものに統合されるものになります。そしてこういう動きは全権委任法で本格化するのですけど、地方自治についても当然に強制的同質化が行われるわけです。
 どうなったかって言うと色々法律が出ていますが、段階を追ってですね、3月31日の法律では、州憲法に法律は違背することはできるとか、全権委任法をまねしたようなものがあり、州議会の構成はライヒの国会と合わせると書いてあって、自動的に共産党を排除した上での構成に合わせるんで、どこもナチスが単独過半数を握る同じ党派別構成にされて、そして州の法律を作るときなども全部ライヒの政府と同じ方針になるということであります。ついでですね4月7日の法律で、ライヒ総督というのが設置されて、政府から派遣されるそれが州を支配することになりました。もう一つ職業官吏再建法が同時に発せられますが、自治体の公務員も含めてですね、公務員の中からナチスにとって望ましくないものが排除される。同時に人種差別政策を取っていますので、ユダヤ人を排除するということを早くも始めています。そして翌年「ライヒ新構成に関する法律」で、各州の議会は廃止、州の主権的地位・強い自治権は廃止、ライヒ政府は新たな憲法法を制定できる、として法律を勝手に政府が作れるという事ができました。
 そしてほぼ同時に6月ですけど参議院も結局廃止、こうして州の権限がなくなってしまったのですね。その他の地方市町村の地方自治はどうなったかって言うと、1933年の段階で、州の自治が壊されるのと同時並行で市町村等の自治体の議会もいじられていって結局、ライヒの国会と同じ構成にせよとか、地方市町村においても同じことが行われていきますし、チューリンゲン州などは、へんてこりんですけど市町村長はナチ学校のコース履修が条件であるとか、そういうものになって行きました。それで何年も進むと状況が変わってとうとうですね、統一的な「ドイツ市町村法律」というのが35年にできまして、市町村議会は結局廃止、市長村長はナチ党の推薦で総督が任命するというものになりました。こうして全国津々浦々の基礎自治体から州に至るまでの自治が死滅したことになったわけです。

その後1945年まで

 その後のドイツは破壊と破滅です。これは言うまでもないことですが、この強制的同質化とテロルがどんどん酷くなっていく歴史を辿りました。そして体制批判者は当然に迫害されていきますが、さらに批判してなくても順応していても、ユダヤ人やシンティ・ロマなど人種差別対象になった人やさらに別の理由で差別対象になった障害者の人などが大虐殺されていくことになりました。それから同時並行で進めたのは戦争準備であって、結局侵略戦争に1939年に突入しました。第二次世界対戦はナチスドイツが開始したものです。もちろん途中で日本がやっているアジア太平洋の戦争と合体して地球規模の第二次世界対戦になっていたわけです。結局破滅する中で敗北し、ナチス体制が解体したのは1945年5月で、連合国の占領下にドイツは入ることになりました。
 戦後、反省が起きます。東ドイツでも、現在のドイツの体制につながる西ドイツでも、基本的の人権を尊重し、州が非常に強い体制を復活させています。抵抗権を明文化しているのも特徴であります。緊急事態条項はないのかというと、実は後であの最初ないんですけど今はあるんですが、ただナチス的なものに利用されないように非常に慎重な構成になっているので、同じ緊急事態条項が復活してるとは全然言えません。
 自民党の改憲案は似ているんですよね。緊急事態というものを自民党の案だと2012年に発表されている案があるのを見ると、内閣総理大臣が宣言すると緊急事態宣言が起きると、その中では基本的人権が制限される。政府には緊急事態においては何人も従わなければならないと書いてあって、自由な意思が奪われるという事ですね。それから人権の規定については「最大限に尊重」と書いてあるのですけど、これはあの正常時と比べると「尊重がややできなくなります」ということを明らかにしています。「最大限尊重」と書かないと、全部廃止されそうに見えるから、最大限に尊重と書いただけで、人権を制限する、それは「停止」に等しい場合もあり得るということを意味していると考えて良いと思います。政府に立法権があることにしていて、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるとしています。地方自治に対しては強制権を行使できることにしていまして、これは臨時的でなくてはいけないということにはなっていますけど、ただ運用によっては恒久的な状態にできるようになっています。ワイマール憲法48条、それから国会炎上緊急令と非常にそっくりな内容になっていると言って良いと思います。全権委任法案と似た面があって、内閣の大臣の権限でできてしまうとかは共通しています。2012年の案は古いので、それを直接やりたいって言っているわけじゃありませんという説明が自民党からなされていますけど、自民党の有力とされている緊急事態条項案も、ちょっとぼかしてありますけど、基本的には同じと言って良いと思います。同じことがこれをやると憲法改正をこれでやるとできるだろうとこの事は時間がありませんけど考えられます。だから緊急事態条項により、それが憲法にあると合憲的に人権蹂躙の独裁体制を作ることが可能となるということであります。自民党の案の場合には憲法9条と抱き合わせってことは、人権を蹂躙しないと、そして人々言うこと聞かせるって意味な独裁に近いあるいは独裁そのものの体制でないと、十分な戦争は戦えないので戦争国家と繋がっている。戦争国家づくりつまり9条改変とつながっていると思います。それからこういう中で必ず地方自治がターゲットになる。住民の自治、住民が自分たちで話し合って意思で決めるということが地方自治の根本でそれはまた民主主義の基礎のはずですが、独裁的権力はその住民たちを動員し、また命令したり弾圧したりしたいわけなので、その場合は地方の掌握は不可欠になるけれども、そのためには地方自治を破壊して、かつ地方を掌握する必要が出てくるのだろうといういきさつがあると思います。ですからドイツナチスの場合は、憲法の破壊のプロセスで地方自治の掌握を不可欠な過程としたんだろうと、言えそうだと思います。自民党が目指すのは例えば破滅的な戦争を起こし、色々な人を大量虐殺する体制だと言い切るわけではありませんが、破滅的ではないけど戦争に進む体制を作ろうとしているし、民族絶滅政策ではないけれども人権の蹂躙に近づく体制を作ろうとする動きであるとは言えると思うので、こうした改憲を許して良いかということの社会的議論はですね、深めが必要だと思います。緊急事態の条項なんかもこんなに危ないんだということは、みんな知らないので議論が必要だと思います。その議論の材料としてまた様々のものが必要ですけど現状の認識などたくさん必要ですが、ドイツ現代史の歴史の一コマのこうした例も参考になるんではないかなと思います。

質疑応答
「ナチスは結局のところは何を目指していたのか。国民は悲惨な目に合わせては何にもならないのではないか」
おっしゃる通りだと思いますが。あの何を目指していたかって言うと、ヒットラーとかその仲間のコアな部分の思想というのは、色々矛盾した様子を見せながら、とにかく右翼で、ナショナリズムで、人種差別だというとこだけは、そしてもう一つ侵略戦争をしたい人だというのがあります。だから何をしたかったかって言うとそれを合わせたものですね。ドイツからアーリア人種でないものを排除していく。ユダヤ人を排除すると良い民族国家ができるし、それからドイツ民族国家は領土が少なすぎるので東の方の広大な領域を征服して植民地にして、そこの土地を奪うとか、住んでいる人を奴隷化するとか、邪魔な部分の人々は消滅させるとかすると、ドイツ民族が豊かになってとてもいいし、それから世界はいろいろ反抗する部分もあるだろうけど、強大な軍事力で屈服させ、威圧しておとなしくさせれば、やがてヨーロッパでの覇権をドイツが握ることができ、こうしてドイツ民族の指導のもとに、そこに屈服する良い国際秩序ができ、そしてドイツ民族は全てヒトラーの意思に従って生きていくんだという理想の状態はできると思っていたわけです。これはあの客観的には全然理想でも良いものでもないんですけど、本人たちといいと思っているから政治運動できるので、本人たちの思想はそうだから、ユダヤ人は追放するって言っていたわけだけど、征服したヨーロッパの全ての所へ追放しようとしていくうちに、ヨーロッパに住んでいるユダヤ人の全ての人をもれなく殺害するという政策にうつって行ったりするわけですので、それは当然望ましい人類全体の共通の普遍的価値観から言って絶対に許されないものではあるけれども、こういう人たちは良いことだと思っていたわけです。だから何を目指していたかって言うとそういうことで悲惨な目に合わせるというのはあの悲惨な目にドイツ国民は合わないはずだと思って戦争を始めちゃっているからであって、戦争に最後負けた後有名なヒトラーの最期の様子とか書いてあるけど結局ドイツ国民は自分の使命に耐えられなかったから滅亡して当然だとか言いながら死んでいった。
「ナチスの政策は例えばアウトバーンフォルクスワーゲンなど現代に通ずるものもある」
 これは現代のつまり20世紀の色々な政権は民主主義体制でもそうだけど様々な人権蹂躙独裁体制もそれなりに近代化はやる。それは工業を発展させたいと独裁体制も思うし、あとあの戦争もしたいから戦争に関連する技術を発達させるとかありますので、珍しいことではありません。フォルクスワーゲンやアウトバーンが作られたが、ナチスがそうしたした制作を目指して、強引に国家財政を傾けてできるし、ヒトラーは自動車好きなんでフォルクスワーゲン開発は肩入れしたとかはあります。そういうものを生み出しているけれどもそうしたものはナチス体制下においてはナチスの戦争の政策やあれは戦争に直接繋がらなくてもナチス支配下のドイツの国力を上げていく政策に使われていただけなので、そんなことをしたから良い体勢だとかという話にはならない。これだけは確実だと思います。
「ナチス独裁に至る巧妙さはヒトラーだけで考えたと思えないブ。レーン的な存在はいたのか。日本の政権でそこまで頭のいい人がいますか。」
 ブレーンはたくさんいます。ナチスというのは一面なんて言いますか、元学生というのか、大学出たばっかりの者とか結構いまして、それから弁護士などの法律家が加わっています。ナチスの活動家は中間層が多いので、その中でそういう者もいて、例えば内務大臣のフリックという人がいます。これは法律家です。そういうレベルで法律を職業にしている人がナチ党に加わっていて大臣になったりするので、憲法のいじり方ぐらいはちょっとお茶のこさいさいなわけだし、それからあの偉大なあの各界を代表する憲法学者でもナチスを支持する人って出てくるんで難しい理論的なことまでちゃんと理論化してくれる人がいる。政権取ってから、色々な人が例えば哲学者のハイデッガーも歓迎するとかですね。ハイデッガーの場合一時的なものですけど、そういう優秀な人材はいっぱい集まるので、ヒトラー自身はそんなに賢くなくても法律のいじり方ぐらいは簡単に思いつくことができるわけです。なのであの日本の政権は多分ですね、どのくらいの賢さかは知りませんが、ブレーンとかなら沢山集まり得ると思います。憲法改正草案というのもあれは法律を勉強した専門的な人がいないと文章がおかしな改正案でも作れないから、まあ色々いるんだと思います。問題を起こした法務大臣だった人も、法律には詳しい人だったようだ。いろいろ重要法の改正の時出てきた人物だと思います。賢いかどうかは別です。間違った政策を取る政権だから、あるいは政党だからと言って知性もないに違いないと舐めてかかると我々も危ないってことかもしれないです。
「緊急事態条項以外で既に地方自治が空洞化されているのではないか」
 現在の自治体の状況についてこの詳細に把握していないんですけど地方自治が色々空洞化させられてきているのは事実だと思います。それから国の政治で見ても地方自治を軽視している面が非常に強いというのは明らかで、例えば沖縄における日本政府の動向は明らかにそういう沖縄県民の意思を蹂躙するものだと思います。そういう政府の政策が押し返されていないから地方自治が空洞化しているのはそのとおりだと思いますが、でもまだ日本国憲法が有効なので沖縄県で県知事選挙すると政府の政策に反対の方向の人が県民の意思があれば当選する。横浜市でも地方自治の枠組みで住民投票をするとカジノ建設の方針は潰えていくとかですね、そういう地方自治と民主主義の余地が憲法に保障されつつ生き残っているので、空洞化されながらもまだ生きているものを生かすには生かすことが必要であろうと思います。ただ、緊急事態条項が導入されるとより厳しくなって、それでもほろびはしないと思いますが、より厳しくなるので防いだ方が良いと思います。
「当時のドイツではどんな運動があったのか」
 だんだん大変になる。1932年の段階だとあの選挙運動をやってナチス政権獲得を阻止しとけば良かったです。そういうことだったのですけど、ただ大統領に首相任命権があるとかそういう憲法上の問題プラス大統領はその側近がヒットラーの方が民主主義を守るよりもいいやと思っちゃったということは大きな弱点になったわけで、そこでもうちょっとちゃんとするにはどうすればいいかって、大統領選挙からもうちょっと考えといたら良かったとかありますし、あとナチスが政権を取りそうなときには、ナチス以外の政党がやがてどうなるかを見越して、みんなちょっと逆らうと殺されるようになるんだというのを見越した上で協力して抵抗すれば、まああのナチスに反対の立場ってずっと過半数だと国会で。どうにかなったはずだと思うんですけど、あの非日ナチス側の政党のそれぞれの間の対立は極めて激しくてですね、お互いにこんな奴よりはナチスの方がちょっとはマシなんじゃないかとか言ってる有様で、失敗したんだってことがあると思います。それから政権取ってからはいろんな人が殺害されたり強制収容所に入れられるようになって大変厳しくなるんですけど、なので結局体制を転覆することはできなかったのですが、抵抗運動をやる人はいてですね、命がけで頑張っていきました。それは当面体制を倒すためには、成功しなかったのですけどまあそういうことをする人間たちもいるんだということで、戦後のドイツ社会を精神的に支える、ドイツだけじゃないすね、人類にですね、みんなやられっぱなしで、皆なナチスに洗脳されるばっかりじゃないんだということも知らせてくれているところが大事だなと思います。
「このままでは改憲案が国会で成立し国民投票になりかねないどのような運動が必要か」
 これはもう私ごときが、運動を提起することはできないですけども、議論を深めつつ、いけないという声をあげていくこととあと基本的にあの人権の尊重とか平和主義とかという基本理念で一致するもの同士は、いろんな違いを超えて共同してことが大事だなという風に思います。
「ナチス政権の時代に自治体や職員の中で反対する勢力はなかったのか」
 これはありました。あの職業官吏再建法というのを先ほど触れましたが、これは政治的に望ましくないものを排除せよという法律ですけど、ということは政治的に望ましくない人はちょっといたということであって、気持ちが反対だとか全権委任法までは一応反対の意見を表明していたとかそういう人はちょっといましたね。社会民主党が首長をやっているところとかでは職員にも、例えば警視総監は社会民主党とかそういうこともあったんで抵抗あったのですけど、これはこうした強制的同質化で全て排除されていくので、その後は抵抗が難しくなったし、排除される時に嫌ですと言っても保護拘禁を受けるので、組織だった抵抗で自治体のナチ化を阻止するとかということは、すでに不可能でした。」

特別報告
 特別報告(ビデオメッセージ)を、合同会社「小田原かなごてファーム 」社長の小山田大和氏が「足元から始める地球温暖化対策」と題して行いました。その内容は以下のとおりです。
「今日は足元から始める地球温暖化ということで、私の取り組みをお話させていただきます。私は1979年の生まれで今年43になりました。元々環境や今日話しする再生可能エネルギー、あるいは農業、といったことをやってきたわけではありませんで、どちらかというと好きな分野ではありませんでしたけれども、地域づくり、まちづくりをやっていく中で、最近の流行りで言えば、持続可能な状態ではないというようなことを目の当たりにしまして、こういうものをもう一度可能な状態にしていくということが自分の役割なのかなと思って、こういったことをやることになりました。2011年の3月11日、東日本大震災と原発事故がありまして、それがあったがためにより持続可能な社会をどうつくっていくのか、、持続可能なエネルギーとはどうあるべきかとかいますか、持続可能な地域はどうあるべきかというようなことを深く考え行動するようになったということで、私がこういうことやり始めて11年。こんな本を今日多分そちらで販売をさせて頂いているかと思いますが、ここに11年間どんなことやって来たかというか、特に最後の5年ぐらいの所についてかなり詳しく書いておきましたので面白いと思ったら読んでいただきたいと思います。
   2016年2月に合同会社、「小田原かなごてファーム」という会社を作りました。「かなごて」という名前はよく、「かなでこ」に間違えられるんですけれども、この「かなごて」というのは、神奈川県の「かな」に御殿場線の「ごて」で、御殿場線という電車が国府津から沼津まで走っているんですけれども、国府津から山北までのところは神奈川県内にある御殿場線の駅です。その神奈川県内にある御殿場線の駅の周辺の地域の活性化をやっていこうという意味で、「かなごて」という名前がつけられ、「こなごて」という名前だけではなんだかよくわからないということだったので、小田原という名前をつけて「小田原かなごてファーム」。この「かなごて」という地域は皆さんが知っている言葉で言うと「足柄」という地域とほとんど同義だという風に思ってもらえればいいかと思うんですけれども、今この地域は電車の車窓から見てみても分かると思うんですけれども、非常に農村地帯でありまして、農業が非常に景観をつくる上で大切な地域資源だということもありまして、この地域の活性化をしていくという意味においては農業の問題切っても切れないなという風に思いまして、小田原かなごてファームという名前をつけさせて2016年の2月からですね法人の組織としてはやり始めています。それよりも前はですねあの東日本大震災と原発事故があった後に、たまたまですね東京からみかんをやりたいという方がいてどこか農地を貸してくれないかという話があって、その人最終的にはどこ行っちゃったのですけども、繋いだという責任もあって、そこの放棄されちゃった場所をですね、私たち市民が借り受けてそこを保全再生するという取り組みを始めました。あの耕作放棄地というのはお昼寝をしていた畑だという風に捉えてそこで「おひるねみかんプロジェクト」を始めました。それは2013年から4年にかけて始めました。では当時はまだ任意団体、市民活動団体などありましたがそこから3年ぐらい経って会社組織にして今やっている。会社組織にする大きなきっかけは後でお話ししますけれども農業と自然エネルギーを組み合わせるというソーラーシェアリング、営農型太陽光発電、農業をしっかりとやりながら上で発電をするこの取り組みをやりはじめた時に、どうしても任意団体ではできませんので、というのはあのお金を借りたりですね、そういうことする時には法人格が必要になりますのでまあどうしても任意団体ではできないということで小田原かなごてファームという名前を組織して合同会社という形にしました。合同会社というのは、株式会社になる一歩手前の組織だと、 LLC という言い方をしますけれども、私はネガティブな意味合いで合同会社にしたわけではありませんで、合同会社というのは一人1票の原則というのがありましてまさにあの協同組合の考え方を一部取り入れているわけです。100万円の資本金を出しても1円の資本金であっても一人1票であるということに変わりはないということで、そういう精神。世の中、今だけ金だけ自分だけみたいな話になってしまってしまい、結局よりお金を持ってる人強い力を持っている人が、全てを決めてしまうということになると、あまり組織づくりにはなじまない、地域づくりがなじまないのではないかということもあって、出来るだけ多くの人たちが平等な観点で、経営や地域づくりに参加としてもらう方がいいんじゃないかと。まあ理想と現実というのがあるのでなかなかそううまくいかないところもありますけれども、そういう思いもありまして、合同会社という会社の組織を作りました。
 このパンフレット、これを開いていただくと、今私どもが「かなごてファーム」として行っているソーラーシェアリングの1号機から4号機、そして「農家カフェシエスタ」今日まさにここで録画をしていますけれどもこの「農家カフェシエスタ」がどういう位置関係にあるのか。また今日はほとんど話できないと思いますけれども松田町で行った木質バイオマスの薪ボイラーの取り組み、さらには今年度の2月に矢作という場所でつくる、神奈川県でも相当大きな部類になる、私どもの持っているもののなかでも最大のソーラーシェアリングになる5号機のソーラーシェアリングの場所も入れる。そしてまたあの日本酒のあの「推譲」、日本酒もですね、当初の日本酒の瓶からフリント瓶というちょっとおしゃれな形の瓶に変えました。こんなような形で小田原かなごてファームというのはやっているよということを全体として見ていただけるのではないかなという風に思いますので、これ見ていただいて参考にしながら話を聞いていただければなと思います。
 私自身が農業の問題をやるようになったということはとにかく農業がですね以上に持続不可能な状態に置かれているということを、地域づくりをやっている中で、色んな勉強会ありまして、その勉強会あるいはいろんな資料を読んだりする中で感じました。例えば日本の食料自給率というのは、カロリーベースですけれども、ついこないだの8月6日付の新聞に37パーセントが38パーセントに1パーセント上がったって書いてありましたけれども、先進国の中では極めて低いカロリーベースの食料自給率。神奈川県と東京都の統計は、神奈川県はですね食料自給率がカロリーベースですが2パーセント。それから東京都に至っては統計を取って以来初め0パーセントになった。つまりは国家が国民を食べさせて行くことができないという、この飽食の時代にあってそういう状況が日本にあるんだということ。それから農業人口が2000年代の初めぐらいまでは300万人近くいたという風に言われていました。また東京オリンピック、1964年に行われた東京オリンピックの頃は人口一億人にまだ日本はいってっていませんでしたけれども、その中にあっても1500万人ぐらいいた。最新の状況だと122万人という、1/10以下になったということです。農家の平均年齢も68歳。食料自給率もさっき言ったような状態。そういう中で、食べていくということは人間にとって最も根源的に必要なことですけどこれができない。という状況に置かれているということで、これを持続可能の状態にしていかないと、我々にとって未来はない。 言うことは簡単ですけども、やることなのですね。
 私は社会起業家という言い方をしていたかもしれませんが、実践家、地域の実践家だと思ってやっていますのでその実践をとにかく積み重ねていく以外にはこういった問題の解決法がないだろうと思ってこの問題に取り組んでいくことになりました。
 今日のテーマであるこの地球温暖化というような対策について言えば、今私はここまで聞いていただいてもおわかりいただけるかと思いますけれども、地球温暖化対策をやりたいと思ってやっているわけではありません。例えば農業の問題、それから自然エネルギーの問題、こういうことを地域づくりの中でうまくやっていくということが脱炭素の社会を作ったり、SDGsな社会を作ったりということに繋がっていくという、そういうところが小田原かなごてファームのひとつの特徴かなという風に思っています。つまりはグローバルな課題を解決するためには、地域のローカルな課題の解決にとことんこだわりながらやっていくということが、結果として地域の課題も解決をし、世界的な課題である脱炭素エ、SDGs、気候危機こういった問題を解決していくということにもつながるという風な思いを込めてですね、特に本当に今の気候危機の現状というのは大変深刻な状態になっています。アマゾンの森をですね、大量に伐採をするということが原因だといわれていますけど、アマゾン川の水が干上がる、あるいはミシシッピー川の水が干上がって沈没した船が出てくる、それから中国では深刻な干ばつ被害がありますし、スペインやフランスでもそういった同様のことがありますし、なかなか牛の放牧する、牛を育てることがなかなかできにくくなってきている、とかこんなこともありまして、農業やっている人たちはみんな気候がおかしいということを言っています。
 先ほどの食料自給率の問題、食糧危機のことも含めてこのままいくとこの地球での深刻な食糧危機が出てくるだろう。気候変動、気候危機の状況でこういうことが出てくるということは言われていますので、まあこういう問題を解決するためにもですね、再生可能エネルギーという問題、あるいは日本の農業、地域の農業をどう持続可能なものにしていくのか。特にあの耕作放棄地の問題、統計の取り方によっていろいろありますけれども40万ヘクタールを超える。日本の耕作地は400万ヘクタールあるいは460万という人もいますけれども、大体ですね1/10ぐらいの量が、今、耕作放棄地になっていると。耕作放棄地にするくらいだったら、日本の食料自給率も低いわけですし、世界の食糧危機いうことがあるわけだから、まあこういうものをしっかりと有効に生かしていくと。小田原かなごてファームがやっていることというのは、地域の中でもから何の価値もないという風に言われている耕作放棄地、今お昼寝をしていた畑、これをもう一度蘇らせてそして再生をさせていこう、保全をしていこう、ということで地域活性化に繋げていこうと言うか、そういう考え方でやっています。そういうことが結果として先ほど申し上げたような気候危機の問題とか日本の食糧危機、日本のエネルギー政策、世界のエネルギー政策、脱炭素、こういったことに繋がっていくんだということでございます。
 私どもは地域づくりをやり始めて農業を本格的にやりはじめましたので、どちらかと言うともともと農家をやっていたという人間たちではありませんので、できるだけ消費者に近い存在であったということもあって皆さんでいろいろ話をした中で、どんなものを食べたいのかという話になった時に、そのままで安心安全なもの食べたいよねと言うなことが結局皆さんの合意になります。今10年近くやっていてとにかく農薬、除草剤、肥料を使わないやり方でやろうと。自然栽培という言い方をしますけども、そういう普段は観光栽培といって、除草剤、肥料を入れるというやり方をほとんどの人がやっている農法ですけども、そういうやり方ではない形にしましょうということでやっています。それからみかんをみかんのママ売らないで、いわゆる6次産業化する。ミカンのまま売らないでジュースにして売るというやり方を取っています。「おひるねみかんジュース」というジュースはまさに私どもが作った、栽培しているみかんを使ってそれをミカンとして売らないで、こういう風にジュースにすると。私が持っているこの「おひるねみかんジュースの黒」というのは除草剤、肥料を一切使わないで作ったみかんを、そのまま搾っています。この「白」というのは、いわゆる耕作放棄地に何でなるのかと言ったらみかんが異常に値崩れを起こしている。なかなかみかんをみかんのまま売っても大したお金にならない。特にですねくずみかんと言われて周りが汚かったりサイズが小さかったりするとですね、だいたい1 kg 8円とかそういう値段になってしまうんですけれども、それを5倍ぐらいの値段で、3倍から5倍ぐらいの値段でみかん農家さんから買い上げてジュースにするということで、そうすることによって少しでも耕作放棄地になるのを食い止めるようなことでやっているのが、この「白ラベル」という風に言われるやつです。集めてるみかんの中には当然農薬を使ったりしているのも、肥料を使っているのもあります。こちらにみかんサイダーとありますけれども、みかんジュースを15パーセント入れて、サイダーにしているということで。サイダーは本当は無添加でやりたかったのですけども、無添加にするとあまり美味しくないので、ほんとちょっとそれなりに入れないと、サイダーとしては飲めないのでそういうものは多少は入っていますけれども、今このサイダーについてもできるだけ天然由来の添加物にしようと。ですねそういうことはできるだけ配慮しながらやってくつもりです。
 こんな6次産業化ということをやったのですが、6次産業化というのはやらないよりはやった方が良いですし、また自然栽培的な先ほど見ましたけれども私たちの安心安全の問題を解決するということもありますけれども同時に観光栽培でやるよりも価値が4倍ぐらいになりますのでそういう意味で農家の年収と言うか収入を増やしていくという方法に全くならないわけではないのですが、私どもも自然栽培の米づくりやっていますけれども本当に思うように収量は取れません。色んな要因がありますけれどもその中の一つにやっぱりなかなかの雑草との闘いでもあります。また水がなかなか入ってこないのですねいろいろありまして。あのですからその収量が全く同じで単価が高ければ当然年収上がるんですけれども、単価は高くても収量が下がってしまうとこれはどうなのということもやっぱり現実の問題としてはある。そういうものの栽培方法を変えたりあるいはその六次産業化することだけで農業が持続性を担保することができればそれ以上やる必要はなかったのですけど。残念ながらそうならなかったので、何か他に方法はないかなと思った時に私が東日本大震災以降特に力を入れてやっていた自然エネルギーの問題と農業の問題とを結びつけることが何かできないかな、と思っていたところ、出会ったのが2014年の終わりぐらいから15年の初めにかけてやったのがソーラーシェアリングという取り組みでありました。
 ソーラーシェアリングというのはうちでやっている、下でお米を作って上で太陽光発電するという神奈川県では後にも先にも米作りでやっている、ソーラーシェアリングはここしか今ありません。なんでかなと考えると、まぁぶっちゃけますと、2018年に一度私これ作ったのですけど、半年後に来た台風で倒れてしまった。多分ですね神奈川県の人はそういう噂は流れますのでお米は危ないんじゃないか、田んぼ危ないんじゃないか、という風に多分そんな風に思われた。そんなことありません。倒れたって言っても、決定的なことは、構造計算のミスです。しっかりした構造に基づいてそれなりのお金をかければ、早々のことでは倒れない。ただ、70 m が80 m の風が来た時にどうなのかと言われれば、これはもう一般の建築も吹っ飛ぶぐらいですからね、ソーラーシェアリングもただじゃ済まないだろうと思いますが、一般建築物が最低限越えなければいけない34 m とか40 m ぐらいのものは普通に何の問題もなくできるという風に言われています。それがあの田んぼの。こういうことをやり始めたということですね。あのソーラーシェアリングというのは営農型太陽光発電と言って、農業やりながら上で発電をするというそういう仕組みです。
 よく言われるのは、これ光を遮りますからものが育つのかという風に言われますけれどもあのちゃんとものは育ちますと言うか物が育つということをちゃんと証明しない限りはこのソーラーシェアリングやれません。私どもが今やっている限りにおいてこの太陽の光を遮光するから生育が悪くなるという結果はありません。先ほど言うに自然栽培にしたりとかですね水が入ってこなかったりとかそういう事によって、気候が不順になったとかね水不足でということで収量が落ちることは当然にありますけれども、遮光するという事によって生育が著しく低下するとかあるいは米粒が全然ないということはないです。ですので、生物の環境にはあんまり影響を与えない。あと逆に言えば、いい意味で太陽の光を遮ってくれますので農作業がしやすいですね。先ほど言いましたけどこここれこの敷地はですねたいです360坪ありますけれどもこの360坪でお米を作って、どのくらいの値段になるかというと残念ながら良くて10万くらいです。私たちは10万にもなりません。うちの実績も10万いくかいかないかです。ところがこの上で発電をする。これは固定価格買取制度と言って、Fit 制度に乗っかってやっていますけれども固定価格が一番高い時で40円ですけれども、18円の時も、半分以下になっている時にやりましたけれども、実績ベースですけれども年間の売電収入はここで145万ありますのでそうするとですね、下で10万にもならないものが、10万も一応稼ぎながら、そして上で145万ある。毎月毎月現金で入ってくるわけですから会社を経営するという点においてはキャッシュが入ってくるものすごくありがたい話で回って行きますかね。そういう意味でこういうものはとても有効な一つだろうと。ちなみにここは3年間耕作放棄地でした。私どもは耕作地に無理くり太陽光発電入れているわけじゃない。耕作放棄地を元に戻すためにこういうやり方をして、少しでも収入を上げることで、耕作放棄地を耕作地としてよみがえらせるという方法で、このソーラーシェアリングをやっています。あともう一つ言えるのはこれ中で機械が入るのかって言われますけど、機械もちゃんと入るようにしています。ソーランシェアリングというのは基本的に地上から2メーター以上離さないとソーラーシェアリングとは言いませんというのが、通達上ありますので最低2 M 離れています。うちは3.5メートルから4メートルくらい高さを取っていますので、出幅もちゃんととっていますのでトラクター、コンバインをきちっと入る様に設計をし、事実入れていますので、機械もちゃんと入りますよということでござい ます。
 あとやっている取り組みで木質バイオマスの問題があります。これはですね松田町というあの小田原から少し離れた隣の隣町になりますけれども人口は約1万人くらいの町ですね。どこでもそうですけれども最近山の問題。山に拡大造林でスギやヒノキを大量に入れましたけれども、結局日本の木材を使わなくなということになりまして、植えたはいいけどいつまでも取り出さないという状況で、今山に人が入らなくなって荒れている。その状況ってのは、林業しっかりやっているところだけではなくて、必ずしも林業でそんなに飯を食っている人はそんなに多いわけじゃないんだけど、山はあると言うなところは日本全国どこにでもある。松田町も決して林業有望地域ではないんですが、山間にある中に人が住めるちょっとした平地みたいのがある。そこが非常に大してないもんですから、あんまり農地もないし山はいっぱいあるんだけれども、山も実は傾斜が非常にきつい山なので、なかなか作業道がついてないということですね。よくそんなところに木を植えたなって感じはするんですけども、そういう状況のところで。とは言いながらも山ありますから、ちょっと洪水が起きたりとか最近の深刻な気候危機のような状況になるとものすごい水が来る。あるいは切り捨て間伐にしたような木が流木になって流れちゃうとゆう、まそういう形で、橋を壊しちゃってますね。人が入らないもんですから鳥獣害の被害も深刻になってきて、まあそんなようなことがあって松田町の町長さんとかと、そういう話をする中で山の再生を考えた自然エネルギーの活用という、そういうものをやろうということになりまして、松田町で2017年ぐらいから松田町木質バイオマス薪ボイラーの導入というプロジェクトを始めました。そして2021年の1月にですね、松田町の健康福祉センターというところに高齢者用の浴室みたいな温浴施設みたいのがあったのですけれども、そこは今までは灯油ボイラーでやってたのですけれども、ちょうどあの設備のメンテナンスからの更新の時期にあたりまして、今このご時世にまさかもう1回灯油ボイラーやるわけないですよね、という話の中でせっかくやるなら、木質を使ったボイラーというものを検討してみてはどうかということを4年がかりでやりました。それで2017年から始めて2021年の3月に国とその導入の補助金をあのなんと3/4という補助金だったですけども、75%国が出してくれるっていう補助率は極めて珍しいタイプの補助金だったのですけれども、それもあのうまく獲得しまして松田町には木質バイオマスの薪ボイラーを導入しました。そこの温浴施設で使う熱量を、灯油を買っている熱量から割戻すとですね木材に割戻すと年間50トンぐらいしか使わないので、年間50トンのレベルだとはっきり言って全然収益としては上がらないという状況なので、なかなか民間が手を出すのは難しいということですけれども、一つは木質の量を増やしていくことと、あとは木質の量を増やす。一般の家庭に薪ボイラーを導入してもらうとか、後は松田町にはゴルフ場が2軒ありますので、このゴルフ場に温浴施設がありますから、そこをなんとかその灯油ボイラー・重油ボイラーから切り替えてくれないという話をしに行ったのですね。そういうこともしています。でも薪ボイラーにしても50トンぐらいの額しかありませんのでペレットとかチップとかになると、それなりに大きい発電とかの熱供給のプロジェクトでないと採算が合わないってことは研究をしてわかったので、仕事を作るという意味でも「薪に」がいいだろうということで、松田町では薪ボイラーを導入しました。導入する前に松田という町が自然エネルギーを活用した地域をしっかり作っていくということを、例え首長さんが変わったとしても引き続き続けて行ってもらいたいという想いも込めて、「松田町再生可能エネルギー条例」という条例を作ってもらいました。
 これもあの私どもが色々意見を言いながらあの制度設計をさせてもらって作りましたが、その中であの一番大きいのはこの条例の中に「地域エネルギー享受権」という権利ですね、実態として権利があるかというよりは、概念的な権利という形で入れ込みましたけれども、地域エネルギー享受権という、再生可能エネルギーというのは地域固有の資源であって、その恩恵は地域の住民が優先して恩恵を受ける権利を持っているということを示した権利ということで、これを全国に先駆けて作った。似たような案件では長野県飯田市というところが条例としてはもっていますけれどもそういった条例。実は神奈川県の小田原市にも再生可能エネルギーの条例がありまして、それを習って松田町でも私どもがいろいろ意見を言わしていただいて、議会の審議を経て導入させて頂いたとこういうことでございます。
 こんなことを通じてですね、とにかく脱炭素こういう問題にもしっかりと取り組んでいく。先ほども言いましたけれども地域の課題を解決するということをとことん追求することによってそういったことをやってるということでございますね。あの私が11年間ずっとやっていてですね、地域が本当に元気になるためには、地域で自給できるものはできる限り自給する。特に人間の生存に必要な水、食料、エネルギーといったことは地域にこそたくさんあるわけで、昔はですね農村地帯や林業をしっかりやってた地域というのは、エネルギー供給基地だったわけですけども、エネルギー供給基地でなくなって化石燃料に依存するようになってから地域は衰退したという風に言うこともできる。
 人口が流出をする、雇用がなくなる、だから堂々とですね農村地域や林業地域はですねこのエネルギーを自分たちの手に取り戻す。そして余ったエネルギーを得るということを堂々とやっていくということが地域にがしなやかで魅力的になるんだろうということを私自身はあのこの十数年間ずっとやっていて感じました。
 そしてもう一つ大事なことはそれをやることによって地域の中で経済を回す。お金を回していくということですね今の油代で年間ですね例えば小田原市の場合ですと最新の統計では毎年毎年440億円ぐらいのお金が外へ出てしまっている。毎年ですからね。この1割でも2割でもですね地域の中に止めてそのためにはエネルギー自給率の地域の中で開けるという化石燃料に頼らない社会を作っていくそういうことだと思います。曽比の発電所があるんですけどもですね。そこで作った電気をですね、既存の送電線を伝ってこの農家カフェに届けてきました。その電気ですが、ついこないだの日産のリーフを買いまして、そのリーフに全部充電してこんなに気持ちいいことはないっすよ。全然あのなんて言うんですかね。爽快な気分になりますね。全部自分で作った電気でしかも全て100%自然エネルギーの電気を使って町じゅうを走りまわっているというのは。何かあった時にはそれを蓄電池にして解放してスマホの充電にしたりとかいうこともできる。究極のエコライフだなと。こういうことをあの日産のリーフ買ったって言うとあの非常になんかあのなんか所得が高いからそういうことやったって思われるかも知れませんけど今の値段でしたら40万円ぐらい買えますので皆さんもそういうことができるような時代になってきてる。自動車をこれから買うときは一台は電気自動車に使用しようという義務化法案でも制定したら、私たちはもう少し社会が変わっていくのかなと思うぐらいで。まさに皆さん自身の一人一人の行動変容をしていくということが今一つ大事なことで最後に二つだけ。 今すぐできることって何だろうということを。
 一つはどっから電気を買っているかということをもう一回考える。自然エネルギー100%でやっているような電力会社、例えば「みんな電力」さん、それから「グリーンピープルズパワー」さんといったところとですね、そういうところに電気を切り替えてみようということがすぐにできることですので、是非そういうのをやってってもらいたい。あともう一つは地産地消のお店とか地産地消の電力とかそういった、お金の使い方を少し見直してみませんかということですね。まああの毎回毎回安楽亭とかねガストとかそういうところへ行くのもいいんですけど、やっぱ、地域では農家カフェシエスタみたいのがありますし、地域の農家さん頑張っているような地域の資本でやっているお店というのがあるわけなので毎回毎回そういうね、どこから来たかよくわからないような会社にお金を使うということではなくて、地域の顔の見える人たちのところでのつながりの中でやっているようなお店とかですね、そういうところに自分のお金を少し入れていこう、みたいなことをやるということも大切なんじゃないかなという風に思っています。どうもご清聴ありがとうございました 。

 午後は、6会場で分科会が開催されました。

                    

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2022年6月28日更新